称徳天皇神護景雲4年6月甲寅の日、勅旨を以って摂津播磨の国境なるこの処に疫神を祀りて疫災を除き給えり、この事は続日本紀に明らかにして、延喜式巻三にも載せられたり、爾来この処をば厄除の霊地として存すること久し実に1千2百年の遺跡とす。
紙で人体の形をしたものをつくりこれを流して災いを除いた。古くは平安時代には、宮廷や貴族の間では陰陽師によってこの行事が行われたのである。今日一般には、紙で人型を造り本人の代わりとして、これに災い、穢れを移し身代わりとして水に流します。つまり身代わりになる人型です。当宮では、拝殿の西側(左側)の階段を上がっていただいた処に疫神祭塚があり、ここでひながたの行事をとり行っておりますので、ぜひお参りいただき無事安泰の日々を送られます様ご案内申し上げます。

寺名は福聚山慈昭寺で有ります。現在の本尊は薬師如来で有ります。寺伝によると、建久9年(1198)に健立され、天保9年3月2日火災により本尊、如意輪観音をはじめ諸尊・宝物等は消失し、弘化2年11月に現在の場所に健立される。
御祭神は「天狗さん」として有名な「道開きの神様」と言われる猿田彦大神。古くから村内で山神講(さんじこう)としてお祀りして、今も毎年10月17日に例祭を行っている。
境内にある「うばめがし」の木は、神戸市内で最大の木と言われています。
帝の勘気に触れ、須磨で3年間の隠遁生活をした在 原行平が愛した村長の娘の墓で、左が姉の「もしお」、右が妹の「こふじ」と伝えられている。行平は姉を「松風」、妹を「村雨」と呼んだ。

源平合戦の折り源義経一行は、厄神さんで先勝祈願をした後この地の松に腰をかけ休息を取り出陣したと言い伝えられている。 この祠は秋葉さん愛宕(あたご)さんといい、火の神さまを祀っていました。地元では「ほんがんさん」と呼ばれて親しまれています。
平安時代の有名な歌人在原行平が須磨に逗留していた時に「松風・村雨」の名をつけて寵愛した村長の娘「もしお」と「こふじ」が鏡の代わりに姿を映したと伝えられる。昔は厄神さんの餅つき当番衆がこの井戸で禊をしてから奉仕した。

扇の形をした松が針伏山にあり、多井畑からもよく見えた。義経一行が一の谷を攻める時、目印にしたと伝えられている。

扇の松の近くにあり、源氏の武将の勢揃いの様子を表している。

多井畑から妙法寺に通じる道中(掛峠)の岩(南北20m、高さ3m程)に60cmと50cmの足跡に似たくぼみがある。義経一行がこの地を通ったことを子孫に伝えたいため、弁慶の足跡として代々伝えられてきた。

字西前田の正藏院檀家の墓地に無縁仏が多数祀ってあり、その中に平家の落武者が祀られている。
多井畑厄除八幡宮では、1月18日から20日の3日間にわたって「厄除大祭」を行います。人生には、人智では計り知れない運気の浮き沈みがたくさんあるといいます。その中でも、運気の変化の最も重要なものの一つが「厄年」とされます。この「厄年」にあたる年は、運気が下がり災厄に遭いやすくなり、本人ばかりでなく家族や身の回りの人にまで悪影響をおよぼすことがあると言われています。本年は、厄年のみなさまは、厄年のお祓いや疫病退散、病気平癒の祈願と厄除にご参拝くださいませ。また、疫神塚に「ひながた授与所」が新築されました。尚、「厄除大祭」期間中は、大変混雑が予想されます。何卒、ご了承くださいませ。
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厄年とは、災難や障りが身に降りかかりやすい年のことです。
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〒654-0133 神戸市須磨区多井畑字宮脇一番地 電話 078-741-0827 Fax 078-734-0680 JR神戸線「須磨駅」、 神戸市地下鉄「名谷駅」からバスで 「多井畑厄神」下車すぐ。 厄除大祭時は須磨駅、名谷駅から 臨時(ノンストップバス)が出ます。