草葉達也の神戸神社紀行

「多井畑の厄神さん」

 ‐多井畑厄除八幡宮‐

落語の演目の一つに「厄払い(やくはらい)」というのがある。落語好きの私でも、人間国宝の故・桂米朝師匠のネタとして聞いただけで、他の噺家(落語家)さんのネタでは聞いたことがない。おそらく珍しい演目になってしまっているのだと思う。

大阪では昭和の初めごろまでは「厄払い」という商売があったそうで、これは年末の年越しの時に「門付け(かどづけ)」という、呼ばれもしないのに勝手に人の家の戸口に立って、なにがしかの物を受け取る形式の祝い芸のことで、「あぁ~ら目出度や、目出度やな、目出度いことで払おなら。鶴は千年、亀は万年、浦島太郎は三千歳、東方朔(とぉぼぉさく)は九千歳(くせんざい)、三浦の大介(おぉすけ)百六つ。かかる目出度き折からに、如何なる悪魔が来よぉとも、この厄払いが引っ掴み、西の海へさらり、厄払いまひょ」というような、めでたい言葉を並べた唄を唄って、その家で一年間にあった「厄」を無いものにしようという、いわば年末恒例の行事だったそうだ。来られた家の方は嫌がらず、むしろ歓迎して心づけを渡したという。これは一年の節目節目に神様が祝福に訪れるという、日本の民間信仰から生まれたもので、古くは万葉集にも出てくる「祝言人」(ほかいびと)の芸能に由来するとも言われている。関西では馴染みは薄いが、「獅子舞」も、その一つだといえばわかりやすいかもしれない。

落語なので面白おかしいストーリーになっているが、日本人として「厄」という言葉は避けて通れない。

 

信心深い人でなくても、人生の通過点にある「前厄」「本厄」「後厄」という三つの「厄」を気にする。普段は「槍でも鉄砲でも持ってこい!」というような、怖いもの無しの同級生が、「来年から厄年やな。やっぱり厄除け神社に行った方がいいよな?」と、真剣な顔をして相談してきたことが忘れられない。私自身も子供と遊んでいて後ろ向きに転倒し、頭を打って「外傷性クモ膜下出血」になったのが、ちょうど「本厄」の年。怪我が完治してから、慌ててお宮さんで厄払いのお祓いをしていただいたことを思い出す。

多井畑の厄神さんに参拝してきた。「多井畑厄除八幡宮」、ここは日本最古の霊場として人気があり、JR須磨・山陽電鉄の須磨駅前から出て市営のバスで20分ほど。車だと10分程度だ。途中見慣れた「須磨の天神さん」の横を通って行く。町中の神社でもなく、平日の午後という時間だったが、御参拝の方が多いことに驚いた。

 

拝殿へ向かう階段を一段一段踏みしめながら、皆さん御自身や家族に「厄」が来ないように、また今ある「厄」を取り除いて欲しいと祈りながら登っている、そんな風景がそこで見られた。ここは派手さはないものの、御詣りすることで必ず何かが浄化され好転する、そんな気持ちになる神社だと感じる。

その日は帰りのバスの時間を間違えたために、凄く御縁のある方と偶然に会うことになった。これも多井畑の厄神さんで御詣りさせていただいた御利益かと、駅前でドーナツをいくつか買って帰路に就いた。


草葉達也 (くさばたつや)

1963年 神戸生まれ

作家/エッセイスト 

日本ペンクラブ会員

阪南大学国際コミュニケーション学部講師

宝塚歌劇史歴史研究家 大阪大学文学部文学研究科